病気に対しての考え方
Director's way of thinking
病気は人間の「防衛本能」
人は病気をしたら、ほとんどの人が自分の体が悪いと思うでしょう。でも病気は命を守るための最後の防衛本能なのだと私は思っています。命を守り幸せに生きられるように体は病気にさせたのだと思っています。これは決して病気になった人を慰めようと言っているのではありません。先程も言いましたが、病気は命を守るための最後の防衛本能であると。その最後の防衛本能を使わなくても済むような生き方を心がけなくてはいけないのだと思うのです。そうです、体は仕方なく病気にさせたのです。病気にさせないと気づかないと判断しての最終決断をしたわけです。その意味に気づけた人はそのまま生き延びることが出来るし、気づけない人はそのまま死に向かうことでしょう。体はとても自愛に満ち、最後の最後まで見守り続け、助けてくれることを諦めない。しかし人は私も含め愚かで半人前だからこそ病気という手段を使わざる負えない状況まで追い詰めてしまうのです。病気をすることは恥ずかしいこと。それが自然な感覚であったはずが、病気を責めないように恥ずかしく思う必要がないように持っていく風習があるように感じます。
シグナルに気付くこと
病気は誰でも起こりうることで決して恥かしいことではないという流れを作りだそうとする力が働いているようにも感じます。そのことは更なる病気の助長になるとも知らず。最近ではSNSでも芸能人が病気や体調不良で欠席や公演中止といったことをよく耳にしますが、以前ではこのように気軽とまでは言いませんが、病気を世間にさらすようなことはしなかったように感じます。
もう一度言います、病気は自分の体が悪くなったから発症したのではなく、悪くなった体をこれ以上悪くしないための防衛本能であって、命を守る姿そのものなのだと思っています。体内に病原体や異物が入ったら体温を上げて免疫反応を作動させて病原体や異物から守ろうとするのと同じで、何とか気づかそうというシグナルでもあると感じます。しかし体が熱を上げざる負えない状態まで、体を放置したことに不満があるのだと思うのです。病原体や異物が体内に入ったとしても体をいい状態に保ってくれてさえいれば、熱など高める必要もなく病原体や異物を処理することが出来るのに。例えるならば熱した鉄板に水滴を1、2滴落としたとしても一瞬で蒸発してしまうように、体をいい状態で保てていれば、病原体など恐ろしいものではないと思っています。その状態を維持するためには何よりも体との信頼関係の有無にかかっているのでないかと思っています。その信頼関係を築いて行くためには、面倒なことから目を背けないことと、体を甘やかしすぎないことではないかと私は思っています。